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萌木の村の原点、ロックの歴史をご覧ください。
>1971年に現萌木の村社長の舩木上次が清里初の喫茶店として旧ロック(↑写真のロック)をオープンさせました。清里には当時駅前に数店のお店があるだけでした。清里が避暑地として有名になるにつれ、アメリカンな雰囲気と舩木上次の人柄、そして何よりオリジナルビーフカレーが当時の若者達に受け、たちまち人気の店になりました。当時の好評だったメニューは、12時間以上煮込んで仕上げていた「オリジナルビーフカレー」、フランクソーセージとトマトベースソースの「ホットサンド」、食パン一斤分もある「厚切りトースト」、ハムやフルーツをのせた「ワッフル」でした。(写真が見つかり次第このページに掲載したいと思います。)従業員も個性豊かな楽しい人が集まり、毎日夜遅くまで若者が集うとても楽しい店でした。今の清里で活躍している何人かは元ロックのスタッフです。
オリジナルビーフカレーの大成功とともに清里ブームが到来し、次々とホテル「ハット・ウォールデン」、手作りケーキの店「ケープコッド」(現在のキャロルの場所、今はありません。)、オルゴール博物館「ホール・オブ・ホールズ」、ミュージアムショップ「ヘンリー・デビット・ソロー」を建設し、同時にテナントの工房がいくつが建ち並び、「萌木の村株式会社」が設立されました。今の萌木の村があるのは「カレー」のおかげ、「カレー」に感謝しようということで、毎週日曜日の従業員達の昼食は「カレー」なのです。萌木の村の原点こそが旧ロックだったのです。
多くのお客様の思い出を演出し、愛され続けた旧ロックも老朽化やキャパシティーの問題などで、建て直すこととなりました。そんな時に舩木上次社長が友人の紹介で出会った人が、日本で5本の指に入るビール職人「山田一巳」でした。山田一巳の本物の本当に美味しいビールを造りたいという「夢」と舩木上次のお客様に満足いただける最高のレストランを作りたいという「夢」が一つの形になりました。それがブルワリーとレストランの融合でした。そして1997年、清里初の地ビールが飲めるレストラン「ブルーパブレストラン・ロック」として生まれ変わりました。
1997年にオープンした新ロック「ブルーパブレストラン ロック」。そこで生まれた地ビールは「タッチダウンビール」と名付けられました。何故「タッチダウン」なのかというと、こんな理由からです。清里開拓の父として知られているポール・ラッシュ博士は舩木上次が最も尊敬する人であり、アメリカンフットボールを日本に初めて紹介した人でした。少年時代に様々なことをポール博士に学び、そしてポール博士に憧れていた舩木上次は博士の死後、彼の意志を継ぎたい、そして彼のようになりたいと思っていました。地ビールに「タッチダウン」と名付けたのはポール博士への強い思いからなのです。
お客様にとって旧ロックの印象がとても大きかったのですが、試行錯誤しながらスタッフが努力した結果、現在のロックを認知してもえるようになりました。今では広いスペースを生かし、年に何回もパーティーやライブ、ウエディングなど様々なイベントを開催出来るようになりました。グッズ販売コーナーは腸詰屋のソーセージを置くことでとても充実してきました。料理のメニューは定番メニューと季節ごとに変わるシーズンメニューによりお客様に喜んでいただける物となりました。定番メニューの中にはもちろん30数年前から変わらない「ビーフカレー」があり、今でも大人気です。
清里の代名詞と言っても過言ではない、今のロック。そんなロックがあるのは夢を追い求めるやんちゃな舩木上次社長とロックと清里が大好きなやんちゃなスタッフ達、そしてロックを愛して下さる多くのお客様達とで共に作ってきた歴史があるからだと私は思います。(wrote:舩木 剛)