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マンスリー上次さん 1月号

TOPICS | 18.01.01

最近の私は「人に助けてもらわないとできないこと」ばかりを考えています。いつも“この人が手伝ってくれたらこんなことができるのではないか”“こういう人がいたらこの問題は解決して大きく発展する”“このスタッフが育ってくれたらこのお店はもっとよくなるのに”とか考えていて、そこへ導くための自分の役割は何か?!と考えています。

 

遡ること45年前、ROCKを始めた時は自分で考え自ら行動し、いつも現場に張り付いていました。カウンターの中もホールも自分が中心。お店のスタッフは自分ひとりという時が何回かありました。自分の知っていること、自分でできること以上のことはやっていませんでした。

 

その後、ホテル建設を計画した時、約1ヶ月間アメリカを視察旅行したことがあります。ポール・ラッシュ先生の愛弟子で、清泉寮からホテルオークラに移り、海外セールスの責任者をされていた秋吉さんという方がアメリカで営業活動をされていました。秋吉さんは私のホテル計画を知り「本物を勉強しろ!」「世界でも一流と言われるアメリカのホテルを視察して体感しろ!」とアドバイスしてくださいました。そして一緒に1ヶ月間アメリカを旅行して回りました。ホテル経営は私の10代の時からの夢でした。しかし、ホテルは資金もノウハウも含め実力不足でしたから、自分のできることから始めようと、ROCKをスタートしたという段階です。ROCKをやっている時は自分自身の実力不足は意識したことはありませんでした。自分の頭の中の思考回路は単純でしたし全力で働いて汗を流していましたので、資金面では苦しいときでしたが、悩みの少ない気楽な数年間でした。ですからアメリカに出かける前は山小屋のようなホテルをイメージして計画を立てていました。ベースはやっぱり自分が育った環境である清泉寮のイメージが80%です。そこから少し発想をめぐらせ“自分ができること”の範囲内でした。アメリカではニューヨークの「ホテル ウォルドルアストリア」、ロスアンゼルスの「ホテル ビバリーウィルシャー」など、私が考えているものとは程遠い、雲の上の一流ホテルばかりを見学していました。私は秋吉さんに「これでは勉強にならないから、もっと自分が作ろうとしているものに近いホテルを勉強させてほしい」と頼みました。するとそこで秋吉さんの雷が落ちたのです。「ポール・ラッシュ先生の言葉;Do Your Best and It Must Be First Class!の意味をもう一度考えろ!最高のものに触れ、頭のなかにそれを詰め込み、そこから今自分のできる最高のものを目指すのではないのか?!」結果、この1ヶ月で私は自分が育った清里という環境とはまったく違う異次元の“こと”に触れ“もの”を見“時間”を過ごしました。今振り返るとこの時から私の思考回路は変わってきたのだと思います。

 

その後いわゆる「清里ブーム」がおとずれ、乱開発の時代を迎えます。私はいつも原因もわからない、結果もでない“疑問と怒り”を感じていました。そんな中、その答えを求めてドイツ・オーストリア・スイス=山を背景に栄える山岳リゾートをめぐる「街づくり研修旅行」を実施しました。途中ミュンヘンで一台のアンティークオルゴールと出会いました。その頃から清里に何か本物の魅力がほしいと思っていた私は、この一台をきっかけにオルゴール博物館のオープンへとつなげていきました。「スイス・ドイツで生まれた美しい音楽再現装置は清里にぴったりだ。本物を集めれば人は見に来てくれる」と思っていました。“知らない”ということは“怖いものがない”ということでもあります。自分の知っていることだけを解説して、時のブームに乗り、たくさんのお客様を迎えたのです。私は音楽やオルゴールに関しては素人です。中途半端なコレクションだったらいっときのブームで終わってしまうはずです。ところが本当に運が良かったのでしょう、集めたオルゴールや自動演奏楽器が一流・本物・すごかったのです。私ではなくオルゴールたちが一流だったということです。一流のものには一流の人が引きつけられ集まって下さったのです。その方々から音楽のこと、楽器のこと、その他博物館業務のことなど、間違いだらけだと指摘を受けました。「オルゴールがかわいそうだ、生かされていない」「ヴァイオリンのストラディバリウスを素人が持っているようなものだ」などなど。しかしその後はあたたかいご指導をいただいたのです。「音楽大楽出身の学芸員スタッフを採用し、その人達を教育しなさい。基礎ができていないと教育したり指導しても進歩しません」とのこと。大学の教授を始め顧問の先生達が調査と研究にとりかかり、現在に至ります。私の役割はオルゴール関係者とのネットワーク作り、情報収集、人間関係構築でした。

 

その後清里フィールドバレエにつながっていきます。私は、地域の中には多様な価値観が地層のように重なっていることが大事だと考えています。30年前の清里は農業者と観光従事者の活動しかありませんでした。この街には芸術家や音楽家、スポーツ家など多くの生き方、活動があり、奥の深い街でなければいけないと考えていました。そんな時にもらった嫁の関係で今村博明先生・川口ゆり子先生、二人のダンサーとの出会いがありました。「このお二人が清里を舞台に活躍してくださったら、清里の未来が大きく開けるだろう」と思い、全力で清里フィールドバレエの開催につとめました。地域力は“風”だと私は思うのです。“風土” “風景” “風習”などなど。そしてその質を上げていった先に“風格”という宝物を手に入れることができるのだと思うのです。その後、お二人とのご縁は28年間続いています。今の私の頭のなかでは、何かが思い浮かび企画という段階まで練り上げられると、そこにどのような人が必要なのか考え、必ず主役となるべき人が具体的に描かれます。「あの人が萌木の村にきてくれればいいのになあ」「内の若いスタッフが実力を付けてあのポジションに付いてくれないかなあ」そんなことばかりが頭の中を巡っています。

 

“一流”と言われるその道のプロの方と一緒にこの清里で仕事をすることができたなら、私どものスタッフはどれほど成長し素敵なことだろうと思うのです。6年前、ポール・スミザーさんのナチュラルガーデン計画をはじめました。今年は水辺の庭ができあがります。6年間付き合ってきて、一流のセンスと知識と技術を持っている人は中途半端なことはしない、思考がぶれない、できないことはしない、人間的に素敵だなと心底思います。それに比べ、今まで私がやってきたことは未熟なことばかりです。これからは“その道のプロ”といわれる人を交えて、この清里で何ができるのか、プロジェクトを考えていきたいと思います。チームを組んで夢に立ち向かう思考に変化してきています。それはこの地に素晴らしいものがあると気付いたからです。その素晴らしいものを生かさなければ宝の持ち腐れになってしまうのです。自然の力に比べたら私達人間の力は微力です。この地の自然と共生しながら、自然と闘うのではなく自然に寄り添いそれを生かし、ここだけの価値を作りそれを磨いていくという文化を作ったら、この地で生まれた人達はどんなに誇りを持って生きていかれるでしょうか。

 

私の中には、清里のバブル崩壊以降、多くの仲間がこの地から去っていってしまったという辛い経験があります。この街にとっていちばん大事なものは何なのか?!やりきれない思いが募ります。世界を見ても身の回りも見ても自分たちだけの都合の良い考え方はどんなにそれが進化して前に進んでいっても良いことではないと思うのです。北朝鮮から始まった核の脅威は技術が進めば進むほど緊張が高まります。八ヶ岳ではソーラー発電が自然を壊し“パネル畑”だらけになっています。自分たちだけの都合で、一見大きなメリットがあると考えられることであっても、実は大きな他者への犠牲があるということではないでしょうか。ポール先生が清里を開発する時に言っておられた言葉が思い出されます。「自然と闘ってはいけない、そこに寄り添うように生きなさい」だから私達が勉強し能力を上げないと荒っぽくなってしまいます。50年後100年後に何を残し守っていかなければならないのかが少しだけ見えてきました。それをかなえるために新しいモデルになる萌木の村づくりをしていきたいと思います。

 

平成30年 元旦