萌木の村 村民かわら版

八ヶ岳・清里高原「萌木の村」のスタッフが綴る季節ごとの村の表情や、個性あふれる各店舗のあれこれです。
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マンスリー上次さん 10月号

joji2015-2.png 現在の「萌木の村」がある場所は、東京都の上水道の水源である小河内ダムの建設にあたり、ダムの湖底に沈んだ山梨県丹波山・小菅両村の28戸の人々が開拓した場所です。入植したのは昭和13年4月17日。当時は戦争による不況の最中で、日中戦争が始まると物資の規制が厳しく、開拓地は困難につぐ困難でした。
 私の父親は丹波山村で生まれ、子だくさんの家だった為に叔父にあずけられ、その叔父の家族としてこの地に来たと聞いています。私の父は10代から開拓者として畑づくりを行っていましたが、太平洋戦争から帰った後は、戦後の新しい農村モデル事業として開設されたポール・ラッシュ先生の清里農村センターに就職しました。そして、甲府空襲で清里に疎開していた私の母と出会い結婚。昭和24年に私が生まれました。清里開拓初期の頃の厳しさは先輩達によく聞かされました。私が物心ついた頃の貧しさが未だに脳裏に蘇ってくるのですから、諸輩方の時代は本当に大変だったと推察されます。
 私の生きてきた清里の66年間は、共に助け合い明るい明日を夢見た開拓の時代でした。皆で協力し合いなんとか生きていくことができる、そんな時代でした。そして、より理想に近い農村を作ろうとしたポール・ラッシュ先生の事業の真っ只中で幼少時代を過ごし、培われた経験が、今の私の考えの柱になっていることを実感しています。
 私は23才の時にROCKをオープンさせ、ずっと萌木の村を築いてきました。そして振り返ってみると実は私自身、考え方が時々ぶれていたのではないかと思うことがありました。しかし今ようやく、ポール先生とそのスタッフの先輩方がやろうとしていたやり方、考え方が「なるほどこういうことだったのか」とわかるようになってきました。そしてそれは私がいつでも上昇志向であったから、いつでも自己否定する気持ちがあったからだと思います。その為、私の歴史のなかでの行動パターンはこうなります。低度中途半端、中度中途半端、高度中途半端、でもちょっとがんばる。やってきたことが中途半端ということはしっかりした考えがなかったということです。しかし中途半端な事は私にいろいろ知恵を与えてくれました。
 私の中では自分のしてきたこと、見てきたこと、すべてが頭の中でミキサーにかかったような状況です。そして、これから何をしなければいけないのかがやっと見えてきました。そして、質の高いパーフェクトに近い考え方がまとまっていること以外は行動を起こさないと決めました。
 また、自分一人で完結できない計画は私のイメージと違う結果になってしまいます。ですからそのような計画を進める時はチームを作らなければなりません。そんな時私は二つの方法を考えています。一つの方法は、私以外の人が完全なビジョンを持っている場合は、私はサポーターにまわります。もう一つの方法は、私の考え方を理解しチャレンジしたいが本人は何をしていいのか見つからない場合に、ともかくその人に1つの成功体験をさせることです。
 今、萌木の村では新しい挑戦がたくさんできます。人生は一度だけです。生まれてきたからには自分自身で最高だと思えるような生き方をしたいものですし、皆さんにもそのような人生を送っていただきたいと思います。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 9月号

joji2015-2.png 5月から咲き始めた萌木の村ナチュラルガーデンの山野草や花々は季節が進むにつれ、春には春の、夏には夏の、秋には秋の花々が次から次へと咲き続けています。私はポール・スミザーさんの考え方がだいぶ理解できるようになりました。そして、そんな山野草に囲まれた中で10月3日、4日に「清里ウイスキーフェスティバルin萌木の村」が行われます。また10月24日、25日には「私のカントリーフェスタin清里」も予定されています。ここ2,3年お見えになっていない方は、ぜひお越しください。今の萌木の村はだいぶ環境が変わったので、少しは皆さんに喜んでいただけることと思います。

さて、「清里ウイスキーフェスティバルin萌木の村」をこの地で行うことについて私の思いがあります。地ビールを作り、ロックで飲んでいただき、お酒のことを考えるようになりました。お酒は飲み方によってはすばらしく、また時には問題になることもあります。私は清里に「お酒を素敵に飲む」環境・文化を作っていきたいと思うのです。そんな中でなぜ北杜市では、ウイスキー、日本酒、ワイン、ビールとこんなに多くのアルコールが作られているのでしょうか。偶然だったのでしょうか。結果としては必然だったのだと思うのです。それは、この地の水の豊さが他の地域とは比べることができないことにあると思うのです。この地の水の水質は多種多様です。それらの水はウイスキー、日本酒、ワイン、ビールを作るのに相性がぴったり合うのです。アルコールを作るのに、知識と技術と材料が同じだったら、良質の水で作れる地が選ばれます。私達はこの地において、その力を最大限に活かした「まちづくり」を提案していきたいのです。

私達は世界一すばらしい景観のこの地で、お酒を通じてそのすばらしさを発信していく「まちづくり」をしていきたいと思うのです。その第一歩として、今回の「清里ウイスキーフェスティバルin萌木の村」を行いたいと思っています。まず、第一歩を踏み出し、地域の皆さんと一緒にこのふるさとを楽しい場所にしていきたいと思います。舞台上には出演する役者はそろっているのに、私達がまだ自覚していないのでは情報発信はできません。伝統と歴史を持っている日本酒の蔵元が4つ(七賢・谷桜・男山・武の井)、ワインでは日本を代表するワインになった「ボーペイサージュ」の岡本英史さん、今や女性醸造家として世界からも注目されている中央葡萄酒の三澤彩奈さん、そして私達の地ビールであるタッチダウンビール。(ちなみにタッチダウンのロックボックはアジアNo.1にも選ばれました)。そんな恵まれた土地ですから、そのことを知ってもらうのと同時にこの地に住む人達にもそのことを知ってもらい、自分たちがこんなにすばらしい所に住んでいるんだということを日々感じながら生活してもらいたいのです。

多くの人達は最近の猛暑、ゲリラ豪雨など何か地球が変だなと思い始めていると思います。中国をはじめ経済成長をして、皆が少しずつ豊かになってきたように思うのと同時に何か大事なものを失っているように思う人が増えていると思います。私達人間は他の生命体の動物や植物とは違い、感情があります。そして、欲望があります。「飲む・打つ・買う」という人間を堕落される欲望はすべての人が持っていると言ってもいいでしょう。でも、この欲望を素敵にコントロールすることもまた人間の持っているすばらしい能力だと思います。

例えば、お酒には昔からこんな力があると言われています。

~堕落した酔っぱらいには、江戸時代の酒客たちの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい話がある。実は江戸時代の酒の飲み方は現在よりもはるかに洗練されていた。
「餅酒論(もちさけろん)」という一種の知的なゲームからそのあたりが解明されるのだが、これは、餅が好きな人と酒が好きな人たちが集まり、餅組と酒組の二組に分かれて、餅と酒のどちらがすばらしいか、また相手にはどんな欠陥があるかなどの議論を戦わすというものだ。その様子はニュースで見るイギリスの議会を思い浮かべるといいだろう。与党議員と野党議員が右と左に分かれて、お互いに向かい合ってディスカッションをするあれを江戸時代の日本人がやったのである。
一方には、餅が好きで酒が嫌いだという甘党が座り、もう一方には餅なんてとんでもない、酒だという辛党が座る。そして、餅党は酒の悪いところと餅のいいところを論じ、酒党は、餅のだめなところと、酒のすばらしさを言う、これが「餅酒論」である。結論としては酒も餅もほどほどがいいということで決着がつくのだが、いかにも知的なやりとりである。
「餅酒論」の起源はかなり古いようで、室町時代の狂言に「餅酒」というものがある。このあたりからずっと受け継がれてきたのだろう。ところで、この「餅酒論」の結論として酒組のまとめた「酒の十徳」というものが出てくる。これは酒の持つ十の効用を並べてあげて、酒を称賛したものである。
それによると十徳の第一は「酒は独居の友となる」。つまり独り淋しいときに、酒は友人のように自分を励ましてくれるというものだ。第二の徳は「労をいとう」。仕事で疲れた体を酒が安らかにしてくれるということ。第三は「憂を忘れる」。文字通り、酒にはいやなことを忘れさせてくれる効用がある。第四は「鬱(うつ)をひらく」であり、心の愁いを払ってくれるというのである。第五は「気をめぐらす」。前の項と関連があるが、酒は体に活気をみなぎらせるということ。第六の徳は「推参に便あり」。すなわち祝いや見舞い、土産などに持っていくと大層喜ばれるということだ。第七の徳は、酒が「百薬の長」であるということ。程よく飲んでいれば、酒は健康を保ち、延命の効果さえあるという。第八は「人と親しむ」。まさに、酒は人の心を開く、酒は人と人をつなぐ接着剤のような役割をする。第九の徳は「縁を結ぶ」。酒によってすばらしい人との出会いがあるということ。そして、第十の徳は「寒気の衣となる」。寒いときに酒を飲むと体が温まるので、ちょうど衣を着たようなものだというわけだ。どうだろうか、昔の人はこのような酒の十徳をつくって酒を敬っていたのである。もっとも、「酒の十徳あり」と決めつけている古文書ばかりではなく、害のあるものだと記しているのも少なくない。そこには、「狂水(くるいみず)」「地獄湯(じごくとう)」「狂薬(きょうやく)」「万病源(まんびょうのもと)」などといった言葉で酒害を説いている。
酒は心で始まり、心で終わる。
確かに、ほどよく飲めば十の徳を持ち、百薬の長となる酒であっても、飲み方を誤れば狂水にも地獄湯にもなろう。イッキ飲みや自己排他的酒飲みをするような現代人には酒は狂薬となって万病の源になるに違いない。酒の力を借りて威張ったり、酒の力を借りてストレスを発散したりといった飲み方は本来の酒の飲み方ではない。酒を敬い、酒の心を知って、自分の心をそれに照らし合わせながら、酒を身体のなかに入れてやる。それが酒飲みに必要な心なのである。酒は心で始まり、心で終わるものだと私は信じている。貝原益軒は「養生訓」で、次のような名文を訓じた。「酒は少し飲めば陽気を補助し、血気をやわらげ、食気をめぐらし、愁を去り、興をおこして役にたつ。しかし、たくさん飲むと酒ほど人を害するものはほかにない。ちょうど水や火が人を助けると同時にまた人に災いをするようなものである」~

以 上
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 8月号

joji2015-2.png 今、私は皆さんに一緒に考えてもらいたいことがあります。私は萌木の村の景観を美しくする為、4年前からポール・スミザーさんの指導の元、庭づくりをしてきました。彼は私に「清里では清里だけにしかできないナチュラルな庭づくりをしなければならない」と提案してくれました。私は過去30年間にわたって、それなりのガーデナーと呼ばれる方や専門家・指導者の元でローズガーデンやハーブガーデンなどいろいろな庭づくりに挑戦してきました。今振り返ると、どの庭づくりも中途半端なことをしてきたと思います。私もそれなりに庭づくりについて勉強し経験も積んできました。その為、ポール・スミザーさんの考えに反発したりそれは無理だと対立することもありました。しかし今では、彼の言っていることは必然のことであると感じるのです。私は、ポール・スミザーさんが森林や植物のことにおいて深い知識を持ち、そしてデザイン力(センスと言っても良いです)においても高い能力を持っていると、心から信じられるようになりました。私はこの萌木の村の庭づくりの考え方を、清里駅の周辺・清泉寮の前庭・聖アンデレ教会・美し森へと広げていきたいと考えています。そして、遠景の美しいこの清里を身近な近景も美しく整備することによって、本当に美しいまちにしたいと思っています。

 清里駅周辺の使われていない酷く荒れ果てた建物を、行政の力を借りながら取り壊し、景観整備をすることによって、世界一美しい清里を作り上げることができると思うのです。そうすれば太陽光パネルで収入を得なくても、この地で生きていくことができるのではないでしょうか。今の清里で生きていく為には、土地を持っている人は太陽光パネルでしか収入を得ることはできません。太陽光パネルのために景観が見苦しくなるから反対という人も、太陽光パネルに賛成の人も、もっともっとどうすればすべての人が未来にわたってこの地で生きていくことができるのかを考えてもらいたいのです。自分たちのことだけではなく、目先だけではなく、みんなの未来を考える時だと思います。

 私は最近、疑問に思うのです。なぜ自然豊かなこの北杜の地において、自然を活かすのではなくむしろ台無しにする太陽光パネルを設置するのでしょう。逆になぜ原発事故の起きた福島の地では太陽光パネルでの発電をしないのでしょうか。東北の被災地は復興工事も進み、何も手つかずの広いスペースがあちらこちらに広がっています。さらに、福島原発からの送電線は東京に向かって整備されています。放射能汚染された土地はこれから何十年も生活する場所にできないと思います。そこをメガソーラーの拠点として、その収入を土地の所有者に戻すべきではないか、と考えるのは間違っているでしょうか。もっと故郷のこと、日本のことを考えて、私達の役割を考えるべきではないかと思います。

 以前の萌木の村は、隣人の土地問題との戦いでした。美しい森の中へのマンション建設をはじめ、萌木の村の環境を守る為に7か所の土地を高値で買い取って守ってきました。きれいな美しいまちを作るためには多くの知恵と負担が必要だと思います。行政には是非ドイツ、オーストリア、イギリス等海外の先進地に学ぶことをお願いしたいと思います。未来の財産を失う事なく、今我々は何をすべきか、本物の一流と言われる田舎を作るために!

なぜ、この国には2つの基準があるのでしょうか。例えば、50ヘルツと60ヘルツです。お互いの縄張りを作り、既得権益を守ろうとします。私が子供の頃、地域には小さな水力発電所があり、集落はその発電量で賄われていました。それらの小さな発電所は東京電力と中部電力に吸収されました。また、人口問題にしても何が何でも今の人口水準を維持して、経済力を落とさずに経済的にのみ豊かになろうとする考え方はどう考えても無理があると思います。
ニュージーランドは人口400万人です。日本の四国を取り除いたくらいの国土の面積です。でも、人々は豊かに暮らしています。人口が少なくなっても、生きていく工夫があれば何も悩むことはありません。
私達は今、新しい時代に対して、今までの考え方ではなく、まったく新しい時代に対応するための生き方を考える時だと思います。私達は時代の進歩と共に(今は決して進歩していなかったのです)便利さ、効率、規格という名のもとに多くの知恵と伝統的な技術を失いました。田舎での生き方はまだ、その失いつつあるものを取り戻せる可能性が高いのかもしれません。  
たった一度の人生で、皆さんが手に入れたいものは何でしょうか。私は“感動”が一番手に入れたい宝物です。だから、いつまでも挑戦し続けたいのです。同じ物、同じ事は感動が薄れていきます。同じ物、同じ事でも、ほんの少し前へ進むと、大きな感動を手に入れる事が出来ます。今、始まった清里フィールドバレエも同じ事です。昨年より、一歩前へ、ちょっと工夫を凝らした内容になっております。皆さんに感動をプレゼントする事が出来たなら、私はもっと大きな感動を手に入れる事が出来ると思っております。皆さんに会場でお会いする事を楽しみにしています。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 7月号

joji2015.png 私は萌木の村の10年後、20年後そして100年後のことを考えると本当に楽しくて仕方がありません。この萌木の村の美しい環境のなかで、スタッフのみんなはどんな仕事をしているのだろうか。私達が1つ1つ積み上げたガーデンの石積み、私達がポール・スミザーさんの指導の元に植えた山野草達はどんな美しい姿をみせているのだろうか。そしてホテルはどんなホテルになっているのだろうか。ROCKはアジアNo.1のビールを作り続けているのだろうか。オルゴール館はどんな企画でお客さまに感動を与え続けているだろうか。実は、オルゴール館を計画した30年前、私はこう考えていました。この建物は100年後にも残るような木造建物にしようと。そして、大工さん達と一緒に考え作ってきました。京都のお寺が今の時代にもしっかりと残っているように、そんな思いでオルゴール館を作りました。

私は萌木の村に美しい環境を作りたいとこれまでずっと作業を続けてきました。最初は 自分たちで遊歩道を作り、コスモス畑にローズガーデンそしてハーブガーデン、キッチンガーデンといろいろなガーデンを作っては途中でやり直すような事を40年間も繰り返してきました。中途半端な失敗の繰り返し、いつもベストではなく、ベターの仕事を行い満足していました。しかし、それが今、何をしなければいけないかはっきりと見えてきました。最初からわかっていれば、今頃は出来上がっていたかもしれないと思う時もあります。でも失敗があったからこそ、今、やるべきことがはっきり見えるのだろうと思います。
今、私の行っていることは決して自分自身の理想ではありません。私の理想が100点としたら40点にも満たないものです。私の描いている100点を仲間たちにどう伝えていけるのか、例えば、「美しい景観」という1つの言葉にしても、私のイメージと同じように受けとめてくれるとはかぎりません。

私のイメージする「美しい景観」とは、私の子供の頃の清里の景観です。聖アンデレ教会の建物や八ヶ岳、すずらん畑、そして石垣など、今でも世界中で一番美しかったと思います。でも、私はずっとそう思っていたかというとそうではありません。その時代ごとの現実に、私が子供の頃見た清里の景観の美しさを忘れていました。やっと、ここ4年でそのことを思い出しました。私の願いは萌木の村だけがきれいになれば良いのではなく、美し森、清里の駅前、清泉寮、聖アンデレ教会がきれいになって欲しいのです。萌木の村が今、実現しているこの方法でもう1回それぞれの場所が「美しい姿」を取り戻し復活してほしいのです。なぜ、私が復活と言うのか、それは清泉寮も聖アンデレ教会も私の子供の頃は実はとてもきれいだったのです。私はそれを取り戻したい。戦争を知らない世代に戦争の悲惨を伝えていくことが大変なように、私のできることは理想に近づけるためにコツコツと作業を続けていくことです。

私は言葉で人に伝えることには限界があると思っています。五感で感じてもらわなければわかってもらえないものです。この文章を読んでいただいている方にとってもそれは同じだと思います。たぶん、みなさんはそれぞれ想像しているのでしょう。でも、萌木の村に来て見て五感で感じてもらった時に、初めて、私の言っていることをイメージとしてわかってもらえるのではないでしょうか。

萌木の村のナチュラルガーデンでは、3,000トン以上の石を使ってきれいな石積み整備している最中です。また150種以上の山野草がポール・スミザーさんの見事なセンスと  バランス感覚で植えられています。このナチュラルガーデンをぜひ五感で感じてもらいたいと思っています。山梨県のいたる所が、いつか私達の行っている方法で景観を作っていったら世界で一番美しい所になるのではないかと思います。そして、ここ清里に住む人達が誇りを持っているようにしたいのです。これは決して夢ではなく、実現できると思います。すべては第一歩から始まります。清里最高、萌木の村最高!
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 6月号

joji2015.png 私は今、ウイスキーとのコラボレーションだけにとどまらず、「清里フィールドバレエ」を中心に、ここ清里を世界で一番素敵な場所にしたいと思っています。実は清里はその条件は整っています。八ヶ岳、南アルプス、秩父の山々、そして富士山と四方を美しい山々に囲まれ、その景観の素晴らしさはどこにも比較するものがないと心から感じています。
清里に住んでいる私達にはこのすばらしい環境が日常風景の当たり前のものなってしまっていて、宝物である事を自覚していないのではないかと思います。その事をしっかりと自覚し遠景の美しさをさらに美しくするために、近景の景観をしっかりと整備してくことが大切になります。さらに、この地に住む人達が誇りを持って未来に向かい、こつこつと自分磨きを行い、町づくりをしていく事が大事であるとも思っています。私はこの地に住む人達が人間として志を高く持つ事が出来た時に、この地はすばらしいまちになると確信しています。今、私のやっている「清里フィールドバレエ」やポール・スミザーさんと行っている「萌木の村ナチュラル・ガーデン」づくり、若い従業員達の夢の実現に向けたサポートは、まさにその第一歩です。

今、私は朝の目覚めが楽しくて仕方ありません。「清里フィールドバレエ」の25周年を記念してサントリーの名誉チーフブレンダーである輿水精一さんのブレンドウイスキーを昨年、300本限定でつくりました。そのウイスキーが「ウイスキーワールド」というウイスキーの専門書において、この10年のウイスキーを振り返る特集の中で、日本のブレンドウイスキー部門で最高の評価を得ることになりました。また、この10年間に日本で発売されたスコッチ、バーボン、ジャパニーズウイスキー等の中で、日本のウイスキーとして唯一「清里フィールドバレエ25周年記念ウイスキー」が10本の中に選ばれました。このウイスキーはブレンダーの輿水精一さんが「清里フィールドバレエ」を鑑賞してくださり、そのイメージをウイスキーの味を通して表現した、幻のウイスキーなのです。今や
インターネットの時代、皆様もインターネットで「清里フィールドバレエ25周年ウイスキー」と検索してみてください。今、この業界では大きな話題の1つになっています。このウイスキーには以下のような説明文があります。

毎年7月から8月にかけて、約2週間の日程で八ヶ岳南麓清里高原、萌木の村、特設野外劇場で開催される清里フィールドバレエは、日本で唯一、連続上演されている野外バレエ公演として今年で25年を迎えます。
劇場では見ることのできない、また感じることのできない野外バレエならではの芸術。自然と共存し、風になびく衣装の美しさに感動し、月に照らされる舞台に自然の恵みを思い、その瞬間を刻む時に、喜びを感じる。この感動を一人でも多くの方に体験していただきたい、日本にも野外バレエを定着させたいという思いが、清里フィールドバレエに結実しました。
このオリジナルウイスキーは「清里フィールドバレエ」25回目の公演を記念して生まれました。ボトルに浮かび上がるのは、月明かりに照らされた華麗な踊り。フィールドバレエならではの優美さ、繊細さをイメージしました。
山梨県北杜市の白州蒸留所モルト原酒を厳選。清里フィールドバレエ誕生の年、1990年に蒸留したモルト原酒を主体に、多彩な個性のモルト原酒をブレンドしたピュアモルトウイスキーです。山梨県の豊かな森で育まれた白州蒸留所モルト原酒の透明感ある華やかな香り、長期熟成由来のまろやかさが、軽快なスモーキーフレーバーでいっそう引き立ちます。25年の年月をゆっくり感じながら、長く続く心地よい余韻をお愉しみください。


今年も「清里フィールドバレエ」記念ウイスキーの製作を企画しています。今後の展開をぜひ楽しみにしていてください。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 5月号 号外

 私の植えた山野草がまたまたポール・スミザーさんに植え変えられました。

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 萌木の村広場の石積みが進み、新たに山野草を植える場所が増えました。そこにポール・スミザーさんが株分けした物や種から育てた苗を植えていくのです。私のお世話になった友人で今は80歳になる富士見町の造園家・小池さんという方がいます。萌木の村の中にハルニレ、コブシなどの大きな木を植えてくれた私の恩人です。小池さんが広場の環境整備のお手伝いしたいということで山野草の苗を持ってきてくれました。私はなるべく早くポットから植え変えてあげた方が良いと思いました。しかし、ポール・スミザーさんは忙しい人ですから、待っていてはいけないと思い、自分でスミザーさんのまねをして空いているスペースに植え込みました。しかし、同じようにやっているのに全然素敵にならないのです。スミザーさんと作業を始めてすでに4年目を迎えますから、だいぶ技術はぬすんだつもりですが、何かが違うのです。そうこうしているうちにスミザーさんが新しい苗を持ってやってきました。そして作業を始め一言「又変な人がおかしな所に植えている」。私は今度こそお手伝いできただろうと思っていたのに、またまた全部抜かれて植え直しです。「この花はここじゃないよ」、「ここに植えたらかわいそうだよ」、「これは山の中だな」、「最近は変なおじさん(私の事)は気持ちだけはあるから許すけど」と言って笑います。植え直した後、不思議なことに本当に素敵に見えるのです。同じ山野草なのに、植え変えただけなのに、生き生きとしてくるのです。彼はよく「ここに植えたらかわいそうじゃない」と言います。一つ一つの植物には植えられるそれぞれの場所があるようです。

 私のやっている植え方は、多分こういうことだと思います。まつげを鼻につけたり、口紅を目の回りに塗ったり、どこおかしいのでさらに付け足してみる、だから植えても植えても素敵にならない。私だけでなく、多くの人が私と同じような事をしているのではないでしょうか。それを解決する方法は、草・花のことを勉強する、欲をかかない、根や葉が広がるスペースを確保してあげることです。理にかなってないことはどこかアンバランスなのですね。

 人も同じです。私達も自分に合った居場所が一番幸せで素敵に見えるはずなのです。ポール・ラッシュ先生は天才的な感性の持ち主でした。今、ポール・スミザーさんのやっていることを60年前にやり始めたのです。そして清里は美しい高原になっていきました。『an・an』、『non-no』の影響もありましたが、清里だけが小海線の中で特にすてきな観光地に開発されていきました。

 今、私達はポール・スミザーさんと出会うことができ、ポール・ラッシュ先生のまいた種を復活させるチャンスをもらいました。感性(センス)を理論武装したやり方を萌木の村のガーデン作りを通して次の時代に残していけたらいいなと、失敗を通して感じる今日この頃です。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 5月号

joji2015.png   清里のポール・ラッシュ博士が“アメリカンフットボールの父”と呼ばれている事を知る人は少ないでしょう。なぜ萌木の村が作るビールの名前が「タッチダウン」なのかを知る人も少ないでしょう。

 今回中村多聞さんが共同通信社のサイトの週刊TURNOVERで分かりやすくポール・ラッシュ博士とアメリカンフットボールとタッチダウンビールの関係を解説してくれています。その中でいろいろアメフトに関った人達が登場しますが、今の私達が誇りを持って仕事をしていかれるのは、そのような方々の計り知れないご理解とご協力があったからだとつくづく思います。ビールの専門誌(Beer&Pub 2015 SPRING vol.13)において今月号から3回にわけて「タッチダウンビール」の物語が掲載されます。世界的なコンクールでアジア№1、世界で金賞をとることができたからです。醸造スタッフがいつもここだけのビールを作りたいと言い続けてきた結果だと思います。(彼らにとって口惜しいのは、私がお酒を飲めないために、醸造スタッフは私からうまい!と褒められることがないのです。どうか皆さん我々のビールが美味しかったら、うちのスタッフを褒めてやってください)

 で、話しは戻ります。アメリカンフットボールの日本チャンピオンを決めるのが1月に東京ドームで行われる「ライスボウル」です。最優秀選手(MVP)に贈られるのが「ポール・ラッシュ杯」です。中村多聞さんは2回その頂点を決める「ライスボウル」に出場しましたが、1回しか「ポール・ラッシュ杯」を手にすることはできませんでした。そんなアメリカンフットボールのスーパースターの一人・中村多聞さんが、東京西麻布の居酒屋「塩屋」で「タッチダウンビール」を皆さんに飲んでもらうために取り扱ってくださることになりました。今の時代は本当に人のつながり、キズナ、何かの縁、そんな結びつきがとっても見直されているのでしょうね。

 この清里の地というのは何がすごいかというと、やはりポール・ラッシュ先生がこの地を選んでくれたということです。始まりはすべてそこからです。考えれば考えるほど、不思議でたまりません。私達と中村多聞(「塩屋」)さんとのつながりも、どう進化していくのかとっても楽しみです。

 関わる人達が共通の想いで結ばれているということがとっても大事なことだと思う、今日この頃です。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 4月号

joji2015.png  4月になるというのにまだ日陰には雪が残る清里です。そんな中で山野草が芽を吹き始めました。ポール・スミザーさんの指導の下、萌木の村の山野草ガーデンは整備されてきました。新しく作られた所にスミザーさんがどんな野草を植えるのかが楽しみです。今年の萌木の村でのイベントは山野草に囲まれて素敵な催し事が行われることでしょう。
 私は今、経済的に直接すぐに見返りがない事をやり続けています。昨年にはスタッフをイギリスにウイスキーの勉強を、そして今年はドイツにビールと料理の勉強に行かせました。行ったスタッフはそれぞれ一回りも二回りも大きく育って帰ってきました。又、今年は萌木の村の広場の中のトイレを新しく整備します。
 現実的には清里の衰退は皆さんが想像する以上に厳しい物があります。清里駅前の商店街はシャッター通りになり廃屋が放置され、テニスコートや駐車場だった所は太陽光のソーラーパネルで覆い尽くされるなどだいぶ荒れた状態です。国道141号線は倒産街道などという別名までついてしまいました。そんな清里ですが、私はこの清里が世界で一番素敵な所だと思っています。四方を山に囲まれその景観の美しさはスイスにも負けません。私は萌木の村を清里のあるべき姿のモデルにしたいと思っています。ここから第一歩を踏み出すつもりでこつこつと作り続け、100年後、500年後、1000年後には八ヶ岳高原が全部萌木の村のようになる夢を追い続けたいと思っています。一時的な乱開発は貧しかった開拓地にとっては通らざるを得ない試練だったのだと思います。
 私は地域は風だと思います。風土、風味、風習、風景それらの質の高さが風格になると思います。そして今は徹底的にソフトもハードもしっかりしたベース(基礎)を作りたいのです。苦しいけれどその基礎づくりをこれでもかと言うほどやりたいのです。私の頭の中にはその基礎の上に立って行なわれるであろう夢が舞い続けています。清里は宝の山です。見える宝物、見えない宝物それぞれいっぱいあります。それらを生かせば新しい可能性が山ほどあります。あれもやりたい、これもやりたいと思いますが、いまの私は少し変わりました。自分のやりたい事を自分で追うのではなく、希望を持った若者の夢をサポートすることが私の役割だと思うようになりました。素敵なバーを作りたい、世界一うまいと言われるビールを作りたい、清里でガラス工房を作りたいなどなど全部応援します。一人一人の夢に乗ることは、夢を追う若者の数だけ私も一緒に夢をおいかけられるのです。私の夢はまだまだ膨らみ続けています。
 春を迎え一気に華やかになる萌木の村の姿を見に来て下さい。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 3月号

joji2015.png 最近思う事・・・額に汗して働く事よりも知恵を使って楽しく生きる事のほうが正しいと思われる社会になってきてはいないでしょうか。本当にそれで良いのでしょうか。義務と責任の無い権利主張や言った者勝ちと思われるような出来事が多い気がします。そんな中でNHK朝の連続ドラマ“マッサン”は朝の道徳教育のような気がしてなりません。

 最近自分の目の前に起る事に対して、判断したり選択したりする自分の基準はどこからきているのかと考える事があります。何故この事を選んだのか、何故そう選択したのか。それはすべて過去の私の経験、体験、知識から判断している事に気がつきました。生まれてこのかた出会った父母を始めとする多くの人達、その影響は非常に大きいでしょう。そして生れ育った場所も大きな要因です。私は清里農村センター、今のKEEP協会で生まれ育ちました。ポール先生の考えを実践する為の施設で、その中のひとつ・実験農場で育ちました。子供の時から豚、羊、牛、鶏、トラクターなどに接しながら育ったのです。更にその時代の影響も大きく受けているでしょう。今と比べたら信じられない程の貧しさ。でもその時はみんなが貧しいので特別とは思っていませんでした。バナナを食べたのはきっと7歳か8歳ころだと思います。それも5mm位に切って1本のバナナをみんなで分けて食べました。初めて食べたバナナの美味しさは忘れられません。病気になった時、お見舞いにもらったミカンの缶詰の美味しいこと。私は小学校5年の時、一年以上も病気で入院生活をしました。その為一年落第しているのです。高校入試も失敗しています。そんな自分の人生の中での環境や起きたことすべてが、今の自分の考え方の物差しになっているのです。

 私にとってとても恵まれていたと思われるのは、私が生まれた時代がまさに、ポール・ラッシュ先生が理想のモデル事業を作り上げている真最中だったということです。情熱にあふれたポール先生の姿を目の当たりに見て育った事は、その後の私の考え方の基準に大きく影響しています。希望に燃えたポール先生。それを支え作り上げていこうとする集団の熱き思い。壁を一つ一つ乗り越えてそのたびに感動している姿。全員がチャレンジャーでした。私はそんな時代、場所、人に出会わなかったら今の自分にはなっていなかったと思います。

 私の中で最近はっきりしてきた事が三つあります。

1、セクシーとエロの違い
2、バクチとカジノの違い
3、酒に飲まれることと酒を通してふれあうことの違い

この三つの事は、一つ踏み外すといっぺんに下品になります。1→セクシーで素敵な女性やダンディーな男性に憧れますよね。2→ドイツ「バーデンバーデン」やイギリスのカジノではお金の嫌らしさを感じません。3→酒を飲んで憂さ晴らしをしたり異性をからかったりするのは醜いですが、お酒を通して楽しい人間関係を作ることは素晴らしいことですよね。何故そんな事を考えるようになったかと言うと、その三つの基準をポール・ラッシュ先生が持っていたような気がするのです。そして、それらを素敵に磨き上げるためにポール先生は芸術やスポーツをうまく利用していたのだと気がついたのです。

 そして、すべての人が生れてきて良かった、人生がおもしろくて充実している、自分自身が一番好きで、生れ代われるのならまた自分になりたいと思えるような社会になる事がとっても大事な事だと思うのです。私は開拓の時代の貧しさを知っていますし、オルゴールをコレクションした中で世界の大富豪とも出会いました。貧しい人もお金持ちもみんな平等に死というゴールに向かって生きています。そんな中で「人生の勝利者」とは人生の中でいかに感動という出来事に出会う事だと思うようになりました。今、萌木の村が進めているポール・スミザーさんの庭作りはまさに感動を作っているところです。今私は最高にワクワクしています。今年で4年目を迎えますが、春になると4年目の庭、3年目の庭、2年目の庭がいっせいに芽を吹きはじめます。こつこつ一日一日、日々の作業があったからこそ仲間と感動を共有できるのです。厳寒の中、現場のリーダー輿水さんとスタッフ達は毎日雪の中でも石積みの作業をしてくれました。周りから見ているとこんな冬の雪の中ここまでしなくてもと思う人もいるようですが、私達はそんな厳しい中でも楽しくて仕方ないのです。今やっている事が今年の春、10年後、100年後、1000年後どんなに美しく育っていくかと思うと毎日いてもたってもいられないのです。そして美しい山野草ガーデンに囲まれた中でフィールドバレエを開催し、皆さんにどんな感動をプレゼントできるのか想像するだけで今からワクワクしているのです。
上次さんの気持ち
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マンスリー上次さん 2月号

joji2015.png 今年も萌木の村の石積みの作業が始まりました。4年目を迎える庭づくりですが、この環境整備は今後3年・5年・・・と続けていく予定です。そしてその進行と合わせて清里復活のプログラムも進めていこうと考えております。

 残念なことに最近「清里は清泉寮と萌木の村だけになってしまった」と言われるようになってしまいました。しかし、そんな清里で将来の夢を持って頑張る若い有望な人財が芽吹き始めているのです。彼らのためにも、開拓者の先輩たちが残してくれた財産を大切に保ちながら、少しずつ手を加えてもっと素晴らしい所に仕上げていかなければいけません。そのためにはこの清里では何をしていかなければならないのか、考えてみましょう。
 
 現実は高齢化と少子化問題が日本全国どこでも進行中です。私はホテルのバーのウィスキーの古酒を求めて長野・群馬・埼玉・山梨の酒屋さんを回ってきましたが、どこの市や町でも商店街はシャッター通りで、酒屋さんの8~9割は店を閉じています。歩けば歩くほどその現状は厳しいものがあります。地域内で経済的に自立することは至難の業です。地域外とつながりを持たない限り、限界集落となり、最後は消えてしまう運命です。その現実を日本のリーダーたちは本当にわかっているのでしょうか?!私から見ると甚だ疑問です。人間は五感で現実を感じ取り、それを知識と経験で理論的に裏付けして、そこから新しいイノベーション(新しい価値)を生み出していくのです。人は価値を求めます。私はこの新しい価値を生み出した所だけが生き残ることができるのだと信じています。その価値が生み出された場所に人は集まり交流がおこります。私達は新しい時代の新しい考え方で“風”を作っていきます。風景、風味、風習、風土、そして風格を!

 一見新しい考え方と思えますが、実は開拓時代の先輩たちの哲学と同じのです。もちろん時代が違いますので手法は違いますが基本は同じです。特に清里はポール・ラッシュ先生が作り上げたKEEP協会があります。清里・エジュケイショナル・エクスペリメント・プロジェクト、その考え方はまさに新しい時代の風でした。そこには多くの人々が学びのため・癒しのため・それぞれの目的で集まってきました。我々は二度目の開拓者になり、新しい“わーっ”という感動を作り上げ交流人口を増やし、清里を他にはないここだけの場所に仕上げていこうと思っています。そして、都会の若者だけが集まるのではなく、地方の若者の生き方のモデルになり、自然豊かで都会より素晴らしいと思われるようなハード・ソフトを作り上げていきます。

 今の私達は「産みの苦しみ」の作業を続けていますが、将来の「完成」を想像するだけで一日一日がワクワク・ニヤニヤです。人生は一度きりです。夢を追い続けることがどんなに大きな財産であるかを皆様にも知っていただきたいと思います。この3年間の変化は一歩ずつ少しずつでしたが、3年の月日の中で山野草は根付き昨年から大きく育ってきました。今年の夏には大きく変化した萌木の村がお楽しみいただけると思います。その変化とともに萌木の村で働く若者達も夢を追い始めました。世の中の流れがどうであれ、萌木の村は正面を見据えて生きていきます
上次さんの気持ち
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