Magazine

萌木の村マガジン

「ROCK はエンターテインメントなんだよね。ただの飲食店じゃないの。」——ROCK50年のあゆみ⑨五味辰弥

2023

Feb

22

萌木の村アーカイブ

ROCK 歴代店長にインタビューする「ROCK50 年の歩み」。今回は鈴木全さんからバ トンを受け取った五味辰弥さんに聞いた。醸造から、ROCK、ホテル、企画と、ほかの店長たちとは別の道を拓いていった五味さん。現場に根差しながら、数々の大きな仕組みづくりに携わった五味さんの歩みをたどると、仕事とは何か、生き方とは何か、そういったことにまで考えがめぐっていきます。

ご多忙の中、取材に応じてくれた五味さん

日本一のビールを造る夢を見る

――萌木の村に来たきっかけを教えてください。

大学では発酵学を学んでいたので、最初の就職はワイナリーの立ち上げスタッフとしてシャトレーゼに入社しました。でもまだシャトレーゼはワイナリー構想の段階で。妹が萌木の村の関係者に同級生がいた関係で、たまたま社長(舩木上次現社長)と知り合いになりました。社長に「醸造をやりたいなら(シャトレーゼで)待っていても時間がかかる。一緒に地ビールを造ろう。お前ここに来い」って誘われたんです。

――まだ萌木の村に醸造部門「八ヶ岳ブルワリー」がなかったころですね。

最初は地ビールを造るなんて嫌だった。当時は、流行りものだったから。ましてや観光地で働くなんて、おれ嫌だよーって断ってたんだけど…。キリンで「一番搾り」を開発した職人・山田一巳さんが退職して萌木の村に来るって聞いて、うわっ、すげーって。これは萌木の村まじだな、って。ROCKでカレーを食ってたら、山田さんが「初めまして」っておれのところに来てさ!翌月にはシャトレーゼに退職届を出した。日本一のビールを造る夢に乗っかろうと思って、ここに来ることになった。27歳のとき。

――劇的な出会いだったのですね。

そうなんだよ、人生を左右する出会いだったんだ。山田さんの一流の職人技を身近に感じ、技術を学ぶことができました。「ピルスナー」「デュンケル」「清里ラガー」「ロック・ボック」「アルトビール」。これら全ての開発に関われたことは本当に光栄なこと。1997年にオープンした新ROCK(醸造施設が併設された2代目ROCK「ブルーパブレストランROCK」)のオープニングスタッフとして尽力しました。

――わお、すごい!今の八ヶ岳ブルワリーの代表的なビールばかり!

山田さんとビールを造り始めて数年が経ち、落ち着いてきたころ、新しいビールを造りたいという思いが強くなった。重くて個性が強いビールを造りたくて、ボックを造ろうと開発を始めました。専務(舩木淳現専務)が面白いものを造りたいって言ってくれて応援してくれたんだよね。それまでは、ど真ん中のビールを造ってきたけど、個性的なものも造りたくて。ネーミングもROCKとR&Bにかけて「ロック・ボック」という名前も既に考えていました(笑)。開発の主担当をやらせてもらって、山田さんの指導を仰ぎながら出来上がったのが「ロック・ボック」だったんだよ。

醸造作業をする五味さん

ROCK 店長として〝仕組みづくり〟に着手する

――今でもファンが多い「ロック・ボック」はそのように生まれたのですね!ところで、醸造からなぜ ROCK 店長になったのでしょう?

醸造を3年くらいやっていたら、上(ROCKホール)を手伝うことになった。自分の造ったビールをお客様へ対面で売りたいし、ROCKはめちゃくちゃ忙しいのに醸造は17時に帰ることができるから、「こんなの全然ROCKスタッフって言えないよー」って思って。「おれは全然元気だからROCKを手伝う」って言って。 でも、他の醸造スタッフは「タダ働きだったら、帰りたい」って言うから、社長と交渉して、そこからはアルバイト手当にする仕組みをつくって、醸造スタッフもレストランで働けるようにした。

で、レストランを手伝っていたら、全さん(鈴木全当時ROCK店長)が辞めることになって。それからしばらくして「じゃあ、五味、ROCKの店長やれっ」って言われて。気が付いたら醸造を離れてROCKで店長をすることになったんだよね。

――当時の ROCK の様子は?

ROCKのレストランに関わりはじめたときに一番まいったのが、スタッフが多いことと効率の悪さ。オーダーが全部手書きで、オーダーをデシャップから通して読むわけ。書いて消して、書いて消して…を繰り返していた。ある時、「こんなアナログじゃだめだ。機械化しなきゃ」って。専務と相談しながらオーダーの仕組みを機械化した。このことで劇的に体制が変わったんだよね。

――人力と機械では、格段の差ですよね。人員の問題はどうしたのですか。

お客さんに「ここで働くにはどうしたらいいのか」って聞かれるくらい人気の職場だったの。当時は、ほぼ9割が女性でリゾートバイトが多かった。30人くらいスタッフがいたけど、これじゃあ、人件費にとられて儲からないなと思って、忙しいお昼時と夜だけバイトを入れて、あとは社員で頑張ることにシフトした。

30代半ばのおれの同級生もパートに引き入れた。子育て世代にお願いすることで、子どもが学校に行っている昼間の9時〜15時ごろの忙しい時間帯だけ短時間、かつ、単発でお願いすることができたから。そして、外部の協力も得るようになったのもこの時期。「teamONE」(派遣会社)を活用することも始めた。teamONE の井上社長はシャトレーゼ時代の同僚。派遣スタッフを確保することで、いつでも若くて力のあるスタッフが派遣され、出勤シフト管理もスムーズに回すことができるようになった。おれが店長になったら、なぜか男子ばっかりの店になっちゃったんだけどね(笑)。なんでだろうね(笑)。

――今も何かとお世話になっている teamONE も五味さんのときだったのですね!

お客さんに「ROCKってばかだね」と言ってもらえる関係を

――当時の ROCK はとてもにぎやかだったと聞いています。

ハロウィーンイベントで仮装する五味さん(右)

6月9日の「ROCKの日」、年末のカウントダウンイベント、ハロウィーンの仮装イベントを始めたのもこの時期。ハロウィーンのイベントなんてディズニーと同時期に始めたんだよ!それこそ社長に『お前ハロウィーンってなんの祭りか知っててやんのか。勉強してからやれ!』なんて最初は言われて(笑)。「ハロウィーンとは何か」っていうレポートをスタッフみんなに書かせたりしてね。

――へえ!ディズニーと同時期なんて。盛り上がりそうですね。

大盛り上がりだったというハロウィーンイベント。右が五味さん。左は舩木淳専務

めっちゃ盛り上がってたのよ!4、5 年ずっと来てくれていたゴレンジャー仮装のサラリーマン 3 人組がいたんだけど、今どうしてるんだろう。有給休暇までとって来てくれるバカたちがいてねえ。おもしろかったなあ。

――毎年その日を楽しみにしていた人がいたのですね。

必ず行事があるときは、ROCKは何かしらやっているだろうと思われていたと自負しているし、 みんなのために何かやってやんなきゃいけねえなあと思ってた。クリスマスも、バレンタインデーも、ホワイトデーも、七夕も、大晦日も、お正月も全部。

当時のカウントダウンイベントのチラシ。デザインもこだわった

――当時の話を聞くと、生き生きとしていてうらやましく思います。

昔は冬場もすごくおもしろくてね、クリスマスには店内にツリーを飾って、お店の照明を落としっちゃったりしてね。カップルが多いから、お客さんを案内するときに、お手製のキャンドルを渡したんだよ。 輪切りにした木の中に、キャンドルをくぎで固定したものをスタッフで作って。冬は暇になるから、そういう演出に時間をかけることができた。ステンレス容器に雪を詰めて、水を入れるとすぐに凍る。それを手で温めるとストンと氷が抜けて、それを使って良さんが飾り付けをしたりね。

――キャンドルが揺らめいている光景が目に浮かびます。お客さんを楽しませたいという気持ちが強かったのですね。

失敗した企画もあったんだよ。たとえば、「金曜日は『華金』」。セミプロミュージシャンを集めて店内でコンサートを毎週やっていたことがあった。半年くらいやっていたけど、お客さんと双方向でコミュニケーションをしないと、聞いている人は「何?」って感じでしょ。そのコンサートは一方通行になってしまって、だめだった。失敗のイベントでした。こちらのエゴではなく、一緒に楽しめるものをやらなきゃいけないって。

――失敗して、反省して、新しいものが生まれるのですね。

「華金」の失敗を反省して、急に「お祭り」をやろうと思った。みんなでどんちゃん騒ぎをしよう って考えたのが、年末のカウントダウンイベント。「紅白なんかぶっ飛ばせ!」っていうタイトル でやったときもあったなあ。お正月の朝まで働いていたけど、みんな生き生きとしていた。同じ時間を共有することに意味があった。あ、3月には「サン」にかけてサンバパーティーをやった こともあったな。冬なのにサンバ!「アロハ着て来たら、割引します」とか言って(笑)。

――サンバ!思いつかない発想です(笑)。

おれは音楽が好きで、楽器をやっていたから、音楽をきっかけにしたパーティーを開くことが多かったけど、音楽だけじゃなくて何でもいいんだよね。演劇でもいい、DJ ブースで音楽を流していてもいいし、本当に何でもいい。お客さんとのコミュニケーションができれば。お客さんに「ROCKってばか だなぁ」って言われたい。そんな関係のコミュニケーションをとりたいよね。

音楽イベントも多数開催した。ギターを弾く五味さん

ROCK の次はホテルで改革

――その後、ホテルに異動になったと聞きましたが。

当時、ホテルは、支配人が変わるなど大きな人事異動があってごたごたしていた。ホテルの改革を行うためだったんだけど、人事配置に無理があったから、おれが「売り上げが落ちた落ちたって嘆いているんだったら、もっと工夫した方がいい」なんて生意気なことを言うもんだから(笑)、ホテルの改革を任された。

――どのような改革をされたのですか。

最初の仕事は客室の改装計画。部屋を少なくして、その分をスイートみたいにしてお客様の満足度を上げて単価を上げようと思って、今の「カワセミ」と「オオルリ」(ホテル内にある客室の名前。他の部屋に比べて広く凝ったつくりになっている)をリニューアルした。風呂に金なんてかけないって言われたこともあったけど、その当時知人だったデザイナーと一緒に、夜中ずっとどんな部屋にしようかって話し合った。ああでもない、こうでもないって言って図面を描きながら、理想の部屋を考えていた時間は楽しかったなあ。

――「カワセミ」と「オオルリ」、私も好きな客室です!五味さんのときに造ったのですね。

五味さんが改装に携わった客室「カワセミ」

「カワセミ」のバスルーム。個性的で上品なつくり

バールームを設置しようって言ったのもこの時期。久保田くん(久保田勇現ホテルバーテンダー)を引き入れて、貴重な酒が飲める上等なバーをつくりたいって社長に直談判したんだ。でも、なかなか社内で稟議が通らず、バーが出来上がったのはそれからだいぶ時間がたってしまったけれど。 今となっては、あの時久保田くんを引き入れ、バーを作って良かったなぁと思っています。

あとは客室のお掃除の方法もかなり問題があったので、仕組みを作り直したんだ。当初は、ホテルスタッフと清掃業者が掛け持ちでやってたんだけど、しっかりとチェックイン、チェックアウトの時間をつくりたかったから、お掃除だけを担当するスタッフを雇った。数年前までわたしの母にも掃除を手伝ってもらってたんだよ。

〝仕組み〟が会社を強くする

――毎回大きな仕事に携わり、今の萌木の村の基礎となる仕組みをつくってきたことに驚きます。

萌木の村では、醸造、ROCK、ホテル、企画と、部署を変えながら全部で18年いたけど、いろんな仕組みをつくったね。仕組みをつくらないとだめなんだよ。誰が、いつ、どんな風にやって も、同じクオリティでできる仕組みがある会社が強いよね。思いつきで、誰かがいるから運営できているというのは、長続きできない。特定の人にストレスがかかるしね。会社の持続のためには仕組みづくりが欠かせないんだよ。

――どうやって仕組みをつくったらよいのでしょう。ハードルが高いような気がします。

完全に OJT。現場で気付き、経験し、考えていかなければならない。例えば、お客さんがナイフやフォークを落としたら、床に落ちる前にキャッチしろってみんなに言っていた。嘘のようだけど、まじめな話。そういうことなんだよね。自ら気付いて、より良いサービスのために考えて行動する。 見えるべきだし、気づくべき。そういう気持ちが仕組みづくりをする一歩だと思う。

――受け身では生まれないということですね。

そう。受け身な仕事ぶりでは突飛な発想や現状を打破する方法は生まれない。安全志向で、優秀で、言われたことをやる〝良い子〟では考える力は得られない。お客さんのことは考えている、けれども遊び心はない、そういう状況は特に難しいよね。そういう安全で無難な姿勢では仕組みは生まれていかないと思う。

萌木の村は一つ、という意識を

――向上心や遊び心を常にもって現場に入るべきなのですね。

そうそう。コミュニケーションも大事だね。おれたちの時代は、情報共有を大事にしたかったから、朝礼を毎日やっていたね。日替わりでスタッフによる1分間スピーチというのもしていて、 自分の思いとか考えを発表していた。この1分間スピーチが良かったんだよ。ほかにも、タイムカードの場所を一か所にしようと提案したこともあった。部署も働く場所も違う会社だから、タイムカードの場所は1つにして「萌木の村は一つ」という意識をもつことで横のながりもできるし、自分ごとになっていくと思ったんだよね。 これは反対されて、なし崩しになっちゃったけれど。

――今も他部署がどんなことをしているのか分からないことも多いです。

横のつながりを築くことは昔からずっと課題だよね。タイムカードを一か所にするほかに、〝モザイクシフト〟をつくったらいいと思うの。暇な時間に手薄の部署にあっちゃこっちゃ入ったらいいじゃん。 例えば、ROCK のスタッフが朝来て ROCK のテーブルを拭いたら、次はホテルのベッドメイキングをするとか。オルゴール館をお昼は無料開放して、オルゴール館スタッフはROCKに1時間だけ入るとか。一緒に働くことが一番の交流。そうしたら有機的なミュニケーションがとれるんじゃないかなって思うんだよ。そういうアイデアがあったっていいと思う。

――モザイクシフト、面白い!互いにカバーできたら人員的にも充実しますし、他の部署の理解も深まると思います。横のつながりを築きたいですよね。

なんかこう複合的に集まれる場をつくりたいよね。萌木の村のテナントさんとも複合的に関われるといいなぁと思って、おれのときは、年に2、3回、萌木の村会(萌木の村内のテナント店舗の会)と県外の百貨店を回っていたよ。トラックで横浜とか名古屋まで各店舗の商品をいっぱい積んで、京急百貨店とかに行って、萌木の村単独のフェアを開催させてくれたんだ。萌木の村フェア、かっこよかったんだよ。今もキャロルさんやメイフェアさんが毎年都内の百貨店のフェアに行ってくれているよね。

――フェアはその流れだったのですね。知りませんでした!スタッフ間もですが、テナント店舗さんとの交流も課題です。

お互いにオープンマインドでいたいよね。安心して行き来できる関係性をつくりたい。おれは 昔、毎朝とは言わないけど、出勤したらぐるぐるってROCKから下を回ってテナントさんやお客さんに挨拶していたよ。 萌木の村に来て、「いらっしゃいませ」って言われるお客様ってどのくらいいるのかなって思ってさ、それで。店舗に入ればもちろん挨拶されるけど、散歩している人はどうだろうって。受け身ではコミュニケーションは生まれないよね、マインドを受け身にしないことがやっぱり大事。

出張販売も積極的に出向いた

ROCKの店長は、エンターテインメントじゃなきゃ!

――既存の枠組みを変え、そして新たなものを生み出す、それは簡単なことではないですよね。 なぜそういったことができるのですか。

「舩木社長イズム」じゃないかな。楽しませる。お客さんのためにって面白がってやる。それに尽きるんじゃないかな。そういえば昔、ROCKでヘーゼルナッツを用意していた。ROCKの各机にナッツが置いてあって、割る道具があってね。今はもうないの? ROCKはエンターテインメントなんだよね。ただの飲食店じゃないの。時間と空間を演出する場所。だから、ROCKの店長はエンターテインメントの人じゃないとな!って思うよ。思い切った ことができる人、面白がれる人、わくわくできる人。そういう意味で、「企画屋」みたいな全体をアイデアする人が必要だね。

――そういったことに近づくにはどうしたら良いのでしょう。

主人公意識じゃないかな。ROCK でオーダーが入ったら、「俺の出番だ」って意気込んでお客さまを楽しませにいく。やらされているんじゃなくて、自ら演じる。そういう前のめりの意識が必要じゃないかな。何よりそういうマインドでいると自分自身が楽しいからね。大勢の中の一スタッフではなく、その中で一番だって胸を張れるような。

――そして、五味さんは ROCK から離れて時間が経ちますが、ROCKレトルトカレーの改良や販売用サラダソースの開発など、今でも萌木の村のために尽くしてくださっていますよね。それはなぜでしょう。

そうだね。やっぱりROCKが好きなんだよ。あとは萌木の村にいたときに失敗したこともある。その失敗を少しでも返したいっていう気持ちもある。大事な場所だから、少しでもROCKが儲かって、もっとスタッフが気持ちよく働けたらいいなあって思うんだ。

ROCK のスタッフは格好良いんだよ

――ROCK は創業から 50 年が経ちました。そのことについてはどう思われていますか。

それは本当にすごいと思う。企業が10年続くのはたったの6%といわれている。それが50年続くってめちゃめちゃすごいことだと思うよ。ROCKのパワーってやっぱりものすごいなあと思う。そのパワーを続けてほしいな。ROCKは今も好きだし、めちゃめちゃ格好良い舞台だと思っているので。

――今のスタッフに伝えたいことはありますか。

ROCKはすごくいいステージだと思うよ。今は家庭を大事にする人が多いし、プライベートの時間はとても大切。でも、仕事をしている時間はとんでもなく長いから。仕事をする自分こそ自分自身だと思う。そのステージで働いているスタッフはイケてるって思ってほしいよね。こんなにイケているところで 格好良く働けているんだから。どんどん挑戦して自分を楽しく生きて、格好よく演じてほしい。 証しみたいなものを残してほしい。

――ぐっときました…。仕事は自己実現ですよね。萌木の村で働いていることを誇りに思いたいと思います。貴重なお話、ありがとうございました。

【編集後記】

約3時間、笑いの絶えない濃密な取材でした。ROCKをはじめ、今の萌木の村の基礎となる仕組みを多々構築してきた人。今につながる大人気イベントを生み出してきた人。現場にとどまらず、「企画屋」として考え続けてきた人でした。

以前から五味さんの影響で萌木の村に入社したスタッフがいるという話を聞いていましたが、 今回お話を聞いて深く納得いたしました。 全身からほとばしる情熱と、人を惹きつける力。相対するだけでパワーをもらえるような方でした。

「どんどん挑戦して自分を楽しく生きて、格好よく演じてほしい。 証しみたいなものを残してほしい」。この言葉を胸にまた私たちは各々の役割を果たしていく所存です。

五味さんは現在、各種雑穀・雑穀ブレンドの製造販売会社「旭食品」(富士川町)の取締役を務めています。栄養たっぷり、深い味わいの雑穀!スーパーで見かけたら、ぜひ皆さまも手に取ってみてくださいね◎

(取材・執筆 萌木の村広報室)

PAGE TOP