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萌木の村マガジン

マンスリー上次さん 2025.6月号

2025

Jun

01

社長コラム

何も知らずに萌木の村の庭を見渡すと、ずっと昔からこの景観があったように思える。しかし実は13年前からのひとつひとつの作業の積み重ねがあって、ほぼ完成している現在の庭である。

庭の造成を始めた頃のことを思い出してみると「いろいろなことがあったなあ」という実感である。石積みひとつをとってみても、野辺山開拓の畑の石、清里開拓の畑の石、富士見町の鉄橋の支柱に使っていた石、清里の田んぼに水を引くために作られた水路の石、大泉の畑を支えるために積んだ石垣の石など、八ヶ岳を中心とした石だが、思い起こすとそれぞれの石には皆ふるさとがあり、それが今の萌木の村の景観を作ってくれている。

自然石もあれば石工さんの手を経て一度は完成したものもある。実は一部甲府から持ち込んだ加工された石があった。甲府市が道路開発をするときに出土した石である。甲府は武田氏の城下町、整然と積まれた石垣があった町である。さらに第二次世界大戦末期にアメリカ軍の空襲によって焼け野原になった。私の母はこの空襲で焼け出され清里に疎開した経緯がある。そんな意味でつながりを感じてしまう。

私もこの13年間、輿水章一さんの下お手伝いをしたが、ダンプの運転だけでも何百回、運んだ石は約4,000t、使い潰した軽トラックのダンプは5台、ハンマードリルを使った穴あけも何千回、当たり前に見えるこの姿は、我々にとっては決して当たり前ではない。

石積みの経験があるために、どこへ出かけても石積みがあると見入ってしまう。そして昔の職人さんの築いた石垣のすごさに驚く。現代の職人さんたちでも昔の石積み職人に比べれば、とても足元にも及ばない。萌木の村が積んだ石積みはまあまあすごいことかもしれないが、昔の職人さんが積んだ石積みに比べればまるで別物だ。我々は運搬用の車や持ち上げる重機、穴を開ける電気ドリルなど様々な道具を持っている。人力しかない時代になぜあのような石積みができたのか?!これはロマンですよ!

最近思うこと、我々は昔の人より優れていると思っているが、大きな間違いであり、思い上がりである。現代人は昔の人が持っていた能力には絶対に追いつけないと思う。私たち萌木の村は平成・令和の時代に石積みをした。現代人は昔の職人さんたちが汗水流して築いた石積みを、パワーショベルで簡単に壊してしまうが、一度壊したら彼らと同じ石積みは二度とできないことを知って欲しい。彼らの技術は現代人には再現できないほど高度なものだ。石積みが持つ価値にも目を向けて欲しい。

萌木の村に訪れていただいたら、そんな思いで自然の花々と共に石積みを眺めて欲しい。そのルーツを探ってもらいたい。

令和7年6月1日

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