Magazine

萌木の村マガジン

マンスリー上次さん 2026.2月号

2026

Feb

01

社長コラム

清里の衰退はなぜ起きたのか?!

昭和20年代、清里で暮らしていた人のほとんどは、開拓初代、2世の人々や古くからの近隣村民の次男、三男といった方々で、小海線が開通して駅ができたことによって仕事が生まれ、そこに住み着くようになった人たちです。人々はみな生きるのに精一杯の時代でした。

冷蔵庫もテレビもない、電化製品だけでなくさまざまな物資が乏しい時代でした。食料品も味を追求するレベルではなく、お腹いっぱい食べられれば幸せな時代でした。

その後日本はどんどんマネー資本主義に変化して、お金の価値観が強くなって、お金中心に物を見るようになっていきました。お金がなければ何事も始まらない、お金を産まないものは無意味で、誰しもお金のために働くようになっていきました。その結果、私たちは自分たちの持っている宝物を失ってしまったのです。資産台帳に記載されるものが大事であって、記載されないものは不要に思われ価値がないと判断されてしまったのです。実はそこに大切な物が含まれていてそれらを失ってしまったのです。その宝物に私たちが気付いて、見失ったものを取り戻さなければ清里の未来はありません。その宝物を守ることにより、ここだけ、この時だけ、唯一無二の清里・八ヶ岳が生まれれば、清里の未来は明るいと思います。皆さんと共にそのことを考え、それを現代の技術や知恵やAIで新しい価値を作ることが大事だと思うのです。

山野草が咲き乱れる草原がありました。小川の水は飲むことができましたし、カジカや沢蟹がいて子供たちの遊び相手でした。森ではキノコや山菜がたくさん採れて森の中は透明感がありました。山には炭焼き小屋や炭焼き窯があり、炭を作るためにヒトの手が入り林は整備されていました。清里から見る四方の山の景観は絶景でした。夜空は黒く、瞬く星は手が届くようにたくさん見え、寒い時期の星空は格段に美しいのです。また日本各地で時々災害が起こりましたが、清里は標高1,000m以上なので水害もなく、固い岩盤の上にあるために大きな地震も起こりにくいのです。住んでいる人はみな真面目な農業従事者で、コツコツと働き、互いに助け合い競い合い、協調性と思いやりがありました。それぞれの能力に応じた役割分担がされていて、こたつを囲んで笑顔の集いがありました。こんな美しい関係が自然と人の間にあり、こんなあたたかい関係が人と人をつないでいたのです。それらがポール・ラッシュさんと安池興男さんの開拓の歴史の中に埋め込まれているのです。多分、自分たちの実力と理想のバランスが取れた共生社会だったのだろうと思うのです。

先ずは、清里の人々が気付かない宝物、以前から住んでいた人たちが忘れてしまった宝物を再発見し、そして自覚することから始めましょう。それらを原材料として、お金と知恵を働かせて、さらに現代のセンスをアレンジさせて新たな清里を作り出していくのです。清里に残された最後のチャンスだと思います。もしかすると清里は地方創生の世界的モデル地域になるかもしれない!逆にこのままズルズルと消えていくのか?!今まさに分水嶺の時です!

私は、清里がモデル地域となるその時、その現場に自分がいることを夢見て、心をワクワクさせながら、今を生きていきます。

令和8年2月1日
萌木の村村長

PAGE TOP