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萌木の村マガジン
この夏、35回目の清里フィールドバレエを迎える。毎年6月下旬になると舞台の準備が始まる。“長い夏の始まり”と毎回思うのだが、そんな繰り返しを34回もやってきた。そして色々な出来事が思い浮かぶ。同じことを繰り返したことは一度もなかった。毎回新しい物語が生まれている。
何もない牧草畑に舞台を作り、何もわからないのに始めた第1回目。私も妻も今村先生も川口先生も30歳代。当時50歳代、60歳代の先輩方が応援してくれた。最初の頃は来てくださる方はほとんど顔見知の方だけ。雨が降ればぬかるみになった客席、皆必死で動いた。知名度もなくコマーシャルを出すお金もなく、自ら中央本線の各駅にポスターを貼って回り、チケットを売り歩いた。毎朝「20枚売るまでは帰らない」と心に誓ってさまよい歩いた。会社の従業員を納得させる必要性にせまられた。お店の責任者を舞台にあげた。舞台裏を見たスタッフはバレエの卓越した運動能力を理解し、フィールドバレエの価値を悟った。やっとチケット販売にも熱が入った。同じく山梨県内の経済界の要人を舞台に招いた。練習を重ねるうちに本人の理解度が高まり、身内を引き連れて鑑賞してくれた。
10年が経つといわゆる清里ブームが終焉を迎えた。当初「この忙しい時期にバレエ公演なんてやらなくても9月中旬まで満室だ」と言っていた宿泊施設も「バレエのお客さまを期待する」ようになっていた。20年30年、少しずつ年輪のように成熟していった。全国紙の新聞の一面にも取り上げられた。30年を超えた頃から“夏の清里はフィールドバレエ”と言われるようになった。
フィールドバレエ期間中にROCKが火災になった。そんな中でも公演は続けた。そしてコロナウイルス!全国でイベントが中止になる中、感染対策を万全にして我々は上演し続けた。多くの批判も受けたが、一度中止したら二度と復活できないと思った。回を重ねるごとに、天候に左右される野外バレエの難しさと経済面の厳しさと観客に飽きさせないことの大変さがわかってきた。
35年前そのことがわかっていたら絶対初めていなかっただろう。我々は若かった、無知だった、だから怖いもの知らずで挑戦できた。そしていくつもの偶然が重なった。運も良かった、そして何より仲間に恵まれた。脳裏に蘇るのは人の顔ばかり、その人たちがいなかったら今日はない。
清里フィールドバレエはいつも見守られているように思う。この季節、天国の客席からこの公演を見守っている人達の視線を感じる。このバレエに関わった多くの人達が夏のこの季節、会場のはるか上の方に集まって来ては、「あの頃は良かった」と懐かしんだり、「舩木、そこはもっと改善しろ」と熱く語り合っているのではないだろうか。そんなお世話になった方々に35回目の清里フィールドバレエを見てもらいたいと思う。
そして、ここまで続けさせてもらえたことに感謝。ありがとう!