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萌木の村マガジン

私は最近、「八ヶ岳の素晴らしさを地元の人たちは知らない」と発言していましたが、実は私は自分のやってきたことを忘れてしまっていて、語り繋げられなくなっていることを思い知らされました。
私は20代からROCKをオープンさせて、その後ホテル建設、オルゴール博物館建設、オルゴール収集、ROCKを地ビール醸造レストランとしてリニューアル、それらと並行して萌木の村テナント経営をし、野外バレエ公演を37年間続けるなどあらゆることにチャレンジしてきました。しかし、あらゆることに挑戦したことで忘れていることもたくさんあることに気がつきました。
5月23日からガーデンマンス2026というイベントが萌木の村内で開催されています。初っ端のイベントで「萌木の村社長が案内するプレミアムガイドツアー」という企画が実施されました。私がお客さまと一緒に村内を巡りながら、お客様の知らない逸話を語り、楽しんでいただく特別企画です。その中で秘密の思い出話をしてくださいと言われ、悩んでいました。
約3時間のガイドツアーのシナリオを、長年萌木の村で一緒に働いてきた木内さんが書いてくれました。最初にオルゴール博物館で作っていた大倉陶園製のイヤープレートの話をするよう依頼がありました。私は「そうだ、あの時熱くなって世界一のイヤープレートを作ろうとまっしぐらだった」と思い出しました。最初は相手にしてくれなかった大倉陶園とのやりとり、デザインおこしと原版の作成を依頼した八田(やつだ)夫妻のこと、立派なイヤープレートを作り上げて大きな借金を返済してやると意気込んでいたこと、次から次へと思い出されました。
スイッチを入れてくれなければ私の中では本当に忘れ去られていました。今思えばイヤープレートだけでも一冊の本が書けるくらいいろいろなことがありました。
また、広場の丘のたもとに横穴を掘り、ワインセラーを作ったことを話すよう依頼されました。「そうだそうだ、そんなこともあった」とあたかも新発見をしたときのようなワクワク感を覚えました。まだナチュラルガーデンズMOEGIに着手する前の話です。その発想、情熱は懐かしくもあり、若気の至りという意味で羨ましくもありました。2014年に仕込んだプレミアムロックボックが眠っていて、みんなで試飲しました。泡がしっかりと立ち、多少酸味は出ているものの贅沢なビールの威厳を保っていました。語り始めると次から次へと思い出話が出るものです。
42年前ドイツのミュンヘンで1台のアンティークオルゴールと印象的な出会いをし、一緒に旅行に同行した父親に渡したお小遣いを返してもらい、頭金を支払って手に入れました(私にとって一番大切なオルゴールでホール・オブ・ホールズで所蔵しています)。しかし、オルゴールは日本に届かず、電話も通じずだまされたと思いました。半年経ってようやく届き、電話で怒鳴りつけました。彼は平然と「俺の商売はコレクター相手だ。俺は3ヶ月のバケーションをとっていてその間は仕事はしない」と口論になったことを思い出しました。
35年前、萌木の村では清里の子供たちとドイツの子供たちの国際交流プログラムを行っていました。その時リューデスハイムのオルゴール博物館見学を毎回プログラムに入れていました。その博物館のジーク・フリード館長が、100年前に作られた「三丁バイオリン」という自動演奏楽器を復元させる計画を立て、そのプロジェクトに私を誘ってくれたのです。そして、そのプロジェクトは世界のオルゴールコレクターの間で話題になり、私はアジア人で唯一の協力者であったため、世界のオルゴールコレクターから評価され、縁が結べることになったのです。そしてようやく世界の名品を集めることができました。
その他にもポール・スミザーさんと出会い、12年間石垣を積んだ思い出、軌道にのる前の清里フィールドバレエ、チケットを売るためにさまよい歩いた日々。今回の企画があったおかげで忘れかけていることを思い出しました。「道」という自伝もありますがアーカイブとして残す必要性を切に感じました。
令和8年6月1日
萌木の村村長
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